世界一周報告

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襲われる

細心の注意を払っていながらも、

ついに僕も大勢の男達に囲まれ襲われた・・。

中国雲南省で発生した地震の被災地でのボランティアへ向かう途中、

襲撃に合う。大きな怪我はなかったが、悲しい出来事だった。

この出来事はこの様に始まった・・。

 

 

【行く】

 

慌ただしい日々が続く・・。

2012年9月、中国。

世の中は一連の国際問題に盛り上がりを見せ、最近その圧力が次第に強くなっている事が感じられる。以前より風当たりが強くなった。

日本の百貨店や家電売り場からは日本製品が下げられ、これまで普通に商店で買い物が出来ていたのに、どこの国だと聞かれ、日本と答えると「日本人は嫌いだ。」と面と向かって言われる。アメリカで生まれた日本人国籍を持つ友人が他の外国人とレストランに入った際に、同じ質問に日本人だと答えると即「出て行け!」と言われた。省政府の教育部門からも「日本人教師は市内を歩かないように」との注意喚起された。デモは毎日のように各地で続く。今月18日には「特別な日」という事もあり、大規模なモノが各地で起こるのは確実だ。

 

昨日今日だけでも上海や北京で相次いで日本人が暴行を受けて負傷者が増えて行くばかり。何の罪もない、食事をしていただけの日本人旅行者でさえも。

 

肩身が狭いにも程がある・・。

 

とにかくここ最近は急に忙しくなった。

自転車と共に西安に滞在していた僕は、講演会に呼ばれ再び河南省南陽市に電車で戻るが日にちがずれ開講日まで時間ができた。西峡という予てからずっと行きたかった綺麗な山に友人と登山に数日出かけ、その後武漢がそれほど遠くない事に気づいた僕は少し武漢に戻る事にした。今ではもう第二の故郷と呼んでも相違ないくらい忘れられない場所、武漢へ。

 

懐かしい友達との再会や夕食会に顔を出す。それもつかの間、武漢に着いた日の夜、友達の家で皆集まった時、テレビに映る衝撃的な映像が目に焼き付いた。それはちょうど一年半前、日本の東北で起きた地震にそっくりだ。倒壊した家々と、避難する何万人もの人々、これは過去の災害を収録したものだろうか。最初は単純にそんなふうに考えていた。

でもそれはすぐに中国雲南省の映像で、それも同日の出来事だとわかった。

 

その時点では死者80人、避難民3000人、その数日後、被災者の数だけで70万人と報道された。場所は雲南省、四川省、貴州にまたがっており、山岳地帯で人口は多いが都市とは呼べない村々が点在する場所だ。中国での地震と言えば2008年の四川大地震が記憶に新しい。

 

ある人は、

「四川(の地震)に比べたら大した事ないよ。今回は小さいから大丈夫。」

 

そういって重くは受け止めず、世間話にもメディアにも大々的には取り上げられていない。それよりも連日テレビと紙面を真っ赤に染める日中関係の報道のほうが遥かに遥かに遥かに多い。

 

僕はそこに問題を感じてならなかった。

 

政治関連のニュースの裏に本当に報道されるべきものが隠れてしまっている。他にも様々な問題があると感じる。まず人々の関心が全く変な方向に向いてしまっており雲南地震がすごい速さで日々過去のものになりつつある。「震度5」という「数字」からかつての四川大地震と比べて重く見られていない。中国の建築技術は全く耐震構造が度外視されており、ほとんどが「レンガ」を積み重ねて壁板を貼りつけ、塗装しただけの「見かけ上強そうなビル」ばかりだ。特に貴州や雲南などの中国でも経済的に貧しい地域ではみるに耐えかねない、まさに童話「三匹の子ブタ」に出てきそうな三種の家が多い地域だ。

 

僕の誕生日会を企画してくれた中国の建築士の友達は、こう言う。

 

「日本のような活断層が少ない中国は地震とは歴史上ほとんど無縁な地域が

多く、耐震構造は視野にいれていない。建築のスピードとローコストが最優先。だからもし小さな地震が起きでもしたら・・・。」

 

優しい彼は、その現状にため息をついていた。

 

義援金に関しても問題がある。繰り返される中国赤十字(China red cross)の義援金横領や賄賂などの汚職に国民の信用はもうほとんど0ゼロに近いと言っても過言ではない。地震の報道を聞いた善意ある人々は募金をしたいと声を上げるがその一番の窓口となる赤十字の信頼が失われた今、それに連鎖して募金自体に不信感が生まれ他の団体にすら募金が集まりにくい情況になってしまった。また政治体制上、民間公益団体を組織することを禁止されている。あっても外国で言うNGOとは異なり、信頼性も低い。

 

僕に出来る事は何か。

少し悩んで、出た答え、

 

「行く。」

 

 

 

こうして悩んでいる間にも雨が降り続く寒い山間地では数千人の人々がテント生活を強いられている。日本のように避難できる体育館や、ドームなんかない。大きな建物が合っても倒壊の危険があり外での生活を強いられている人々ばかりだ。

 

しかし僕は今武漢。大きなバック2つだけ持って残りの装備品は西安に置いて来た。今すぐにでも行きたい気持ちを抑え、一度西安に一日戻り自前のキャンプ道具とガソリンの調理器具やライト、レインコート・衣服、ソーラー電化製品など装備を整えてから被災地に向かう事にした。そのまま飛び込んで行ったとして、現地で宿泊施設や水・食料など本当に今必要としている被災者の貴重な資源をボランティアが消費してしまっては逆に迷惑をかけることになる。また軽装で行き、自身が怪我をし、被災者が使うかもしれない病院の貴重なベッドを使ってしまったり。阪神淡路大震災や東日本大震災でも実際に「人々の善意」の影に浮き上がって来た問題だ。

 

 

そこの複雑な混乱を緩和し、有事のときに動ける人間になる為にこの年の春一時帰国した際に受けたのが東北被災地での「ボランティアリーダートレーニング」。過酷な状況下を想定しての一週間の研修、果たしてその成果はどんなものか。足を引っ張らず、地元民と他のボランティアと連携し現地に貢献する活動ができるように頑張らねば。

 

 

被災地近くの都市までの、46時間の列車の旅は始まった。

結局武漢に滞在できたのは3日間だけだった。それでも朝から晩まで各大学を周り、友達とホッと一息をつける時間を作る。医学生達が医学部と看護学部のキャンパスを案内してくれた。

 

「私たちも出来るものなら一緒に行きたいです。でも行けないので、あなたに託します。」

 

雲南の人々のことが心配、だけど仕事や学校で遠く離れた雲南にはどう簡単には行けない。この国を知っている彼ら程の仕事はできないかもしれない。でも行ける僕が行かなきゃ、誰が行くんだ。

 

 

 

 

 

 

親しい友人にだけ行く事を伝えた。

そして、武漢最後の夜、華中師範大学の先生から

「持って行ってください。私たちの気持ちはあなたと、そして雲南の人達と共にあります。」

と、薬を30箱ほど受け取った。

 

翌朝、大雨。タクシーが捕まらない。40分程場所を変えながら乗れるタクシーを探しやっと一台目の前で止まった。すでに大きな荷物を引きずっている僕は早歩きで駆け寄るも、横から走って来た女性が先にドアに手を掛けた。タクシーで駅まで20分、バスで50分。電車出発時刻まであと30分・・。

このタクシーしかない。

中国語で話しかけたら絶対無視されると悟った。通じるか不安だったが雨で濡れた切符を必死で彼女の目の前に突き出して英語で説明した。そしたら情況をわかってくれしかも偶然駅と同じ方向で、あぃのりさせて貰う事になった。ガチガチの渋滞にはまってお手上げ状態。彼女は親切にも駅に電話して列車の遅延情況や次ぎの電車の時刻を聞いてくれた。結局予定の電車には間に合わなかったがその2時間後の電車に乗る事が出来た。その電車は雨で遅延しておりぎりぎりで南陽の講演会に間に合う電車だった。

同日の夜行列車で西安に向かう予定だったので南陽滞在可能時間はたった4時間。4時間で全てを済ませなければならなかった。

 

無事講演会を済ませ、学生・先生方との食事にも短時間だが出席、別の大学で支援物資を受け取り、そのまま夜行列車に乗って西安へ戻る。はずだった・・。

 

 

 

別の大学の先生にお願いしてその日の朝生徒に呼びかけを依頼した。 すると何と夜までに100人近くの学生や生徒から大量の薬や衣服、食料、そして被災者に宛てたメッセージの束が集まった。山のような支援物資に唖然としてしまった。

 

その中に直接先生の家まで来て、薬や服を持って来てくれた学生がいた。

その学生は先生に、

 

「私たちの国で起こった災害なのにこうして日本人が来て助けてくれるなんて申し訳ないです。ありがとう。」

 

と伝えてくれたという。このアクションそしてそれによって得られる中国の人からのこの言葉。それが特に今の厳しい社会背景の裏で必要な事なのじゃないかと思う。

 

 

 

 

一度ある事は三度ある。物資を持って来てくれる人達の到着を待って大量の荷物をさばいていたらまた今夜の電車を逃してしまった。学生達と4人で駅まで走ったが、あと一分だった・・。その日は先生宅に泊まらせて頂き、翌日早朝の電車で南陽を離れた。

 

電車の中では深圳から23時間の電車に乗って西安に向かっていた僕と同じ看護師で同じ歳の女性に、中国語での医療用語やアレルギーの有無などの簡単な問を学んだ。

西安に到着。自転車を預けてある友達の家で荷物をさばきつつ、翌日夕方発の電車に備える。渭南市と西安の友達からの支援物資も受け取った。寝台でここからさらに24時間、貴州省の貴陽へ向かう。宿泊場所を提供してくれる地元の協力者と、さらに武漢から別の電車に乗って僕より少し早く到着するボランティアの友達ひとりとそこで合流する。

 

 

 

【小さな事】

 

翌日(15日)も西安で大規模デモが予定されていると聞くし、最近人々の態度が一変し、暴言を吐かれ、これまでに経験した事のない身の危険を感じてならない。

今後の日中関係もとよりこちらにいる日本人(上海だけでも10万人)の安否が心配だ。こちらの人々は本気だ(意味はお判りだろう)。もうこれまで通りのごまかしは効かなそうだ。

日本人とは関係ないが、先日拉麺店で持ち帰りの品を友達と待っていたら、どうやらその店は隣の同業者と仲が悪いらしく、店長同士の口喧嘩から始まり、10秒後には殴り、大きな中華包丁を振り回し斬りつけ始めた。僕は店からイスを持ち出し盾にし彼らの間に入り、包丁男を押さえるも完全にキレている。相手は負傷し、警察が来た。実は悲しい事に本当に日常的によくある事だ。また、隣の同士並ぶこちらも仲の悪い果物店。利益が悪化した方の店が隣店のおばあさんを10人がかりの男で袋だたきにした。それを知った息子はナイフを持って仕返しに行き、逮捕された。殴ったグループの中に政府関係者がいたので警察は見過ごす。武漢にある僕のよく行く好きな店だった。助けを求められたので、新聞記者に相談するも帰って来た答えは、

 

「keiさん、これは中国では小さなことです。」

 

小さなことだそうだ。

どうしてしまったんだみんな。

善人が馬鹿を見て、悪人が浮かれる社会にしちゃいけないよ。

 

とにかく、旅/政分離主義の僕は雲南・貴州の震災被災者は放っておけない。

 

行ってきます!!

 

 

 

 

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【人々の声】

 

 

80kgの荷物を一人で抱え46時間・・ついに貴州に到着。

 ぎゅうぎゅう詰めに人がごったがえす階段は泣きそうになった。

 

皆僕にぶつかり通り過ぎて行く中、一人の優しい男性が助けてくれた・・。

 

 デモは毎日各地で行われ日本製品や店は盗難に遭い、日本車は次々破壊され火を放たれ路上に放置されてる。暴行に合っても誰も止めない・・こんな地獄のような光景初めて・・。本当にここは中国なのか。

 

でも、僕には届けなきゃいけないものがある。

 

"今"だからこそこのアクションが必要なんだ。

 

 

 

でもどうしよう。

すごい・・!人々からの支持が!

電車降りて協力者の家に着いてみたら一日でメッセージが10000件以上来ていて、中国版twitter (weibo)など数何万件・・ネットが炎上してる。嬉涙!

 

絶対負けないぞ!

 

 

 

人々の声をたどってみたらある炎上している記事にもたどり着いた。

風向きが変わったか。

 

 

 

当爱国贼们到处打砸日系车,去日本料理店闹场吃霸王餐的同时,那位曾经丢了自行车的日本青年@河原启一郎 却带着大量的药品和生活用品去云南地震灾区帮忙去了。

(翻訳:「愛国者が日本の車を破壊したり日本料理店(日本人)を襲っている一方、自転車を盗まれ見つけた日本人青年は大量の薬と支援物資を持って雲南の被災地へ援助に向かっている。」)

 

 

これに対しネットの反響は、

 

 

「日本人は元々嫌いだったけど、見方が変わり好きになりました。」

 

「政治と民は別!日本人にもいい人はいます!」

 

 

 「暴動に参加している人。恥を知り、落ち着きなさい。」

 

「戦争なんてしたくありません。」

 

「本当にありがとう!」

 

「感動しました!」

 

「政府は暴徒化した人々を止める気はありません。和平を訴える場所がありません。皆目を覚ませ!」

 

「一部の人の失礼な事件、本当にごめんなさい。」

 

「彼を見なさい。暴力だけに走るあなたたち、本当にそれは愛国なのか?」

 

「あなたも命を落とします。」

 

「身のため、中国から逃げるべきです。さもなければ細心の注意を払ってください。」

 

「優しさに国境はありません。」

 

「日本人はこんな情況なのに、ありがとう!!」

 

「日本の友達!私たちがついてるよ!」

 

「この事を知って涙が出ました。」

 

 「一緒に頑張りましょう!!」

 

 

色々な形でシェアされ今数十万件は確認できた。全ては読めていないが9割以上が反日に関係のない言葉(感動・感謝)のようだ。治安は悪化するばかりで留まる目処は全く立たないが、彼ら善良な人々がいる限り中国と日本には希望が見える気がする。

 

 

心は心でしか動かせない、そんな気がした。

 

 

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【襲われる】

 

 

しかし、細心の注意を払っていながらも、

ついに僕も大勢の男達に囲まれ襲われた・・。

 

一緒にボランティアに合流する武漢から到着したばかりの友人と、ステイ先の家の娘さんと3人で夕食を終えた帰り道。店を出ようとすると外にはすでに男達が20人くらい見えた。少し暗く細い道。何か暴言を吐いている。

友達はガタイのいい店主に一緒に付き添って店を出てくれるように頼み一緒に出るも、すぐに取り囲まれた。ある男が店主に「彼は日本人か。」と聞くと、あろうことか店主は「うん、日本人だ。」と言い残し店に引っ込んだ。足早に歩くも腕を掴まれ、服を引っ張られ、行く先を塞がれた。友達二人は取り囲まれながらも「彼は日本人じゃない!韓国人だ!」と繰り返し叫んだ。僕も同じくそう叫ぶも、相手はそんなのお構いなしに体当たりしてくる。投げつけられた火のついたタバコが舞うのをスロー再生のように覚えている。友達の一人が叫びながら僕の腕を掴み狂気の男達の間をすり抜け連れ出してくれた。しかし男達はまだ追ってくる。110にかけて警察を呼ぼうとするも、自動音声案内が流れてきて話しにならない。夕食の前に中国メディアSOHUの取材を終えたばかりだったため、着歴の一番上にあったその電話番号にかけた。情況を伝えながらも早足で追っ手から逃げ、なるべく歩行者が多い場所を歩く。友達が電話で家族に助けを求め、母親が電動バイクで救助しに駆けつけた。飛び乗った。その時点でレストランが多い賑やかな場所におり、追っ手は立ち止まり遠くから見ていた・・。

 

実は明日(17日早朝)、同じく自転車で世界一周を目指す日本人、遠藤さんがはるばるベトナムからバスで戻りこちらで合流し、一緒にその日の夕方の列車で被災地に向かう予定だった。

 

しかし、18日の大規模デモ前に痛手をくらい、19日まで身の安全を確保することに。もう外に安全な場所なんてない。北京から夜の飛行機で記者がこちらに向かい、こちら地元の記者と共に守って頂く事になった。さて被災地までどうしたら安全に行けるだろうか・・。

 

襲われた夜、中国Twitter (weibo)に一言「今多くの男達に襲われた。怪我はないけど、とても悲しい。」と書いたところ。一晩で8万件もの謝罪と応援のメッセージが届いた。暴動を起こす中国人に対し、同じ中国人も怒っているのがわかる。

 

事件のあと、正直とても気分が落ち込み寝付けなかったが、

 

多くの支持者と共に諦めずにこの薬を送り届けてみせる。

 

 

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【絶対負けない】

 

 

襲撃を受けてから丸二日、一歩も外には出ていない。

 

大雨、強風。連日行われるデモ・破壊に対し天罰が下ったように神風が吹く。

 

善意ある皆様からの支援物資、指一本触れさせない。

 

家の外には24時間警察車両と警官が数人警備に当たってくれている。

 

日中関係がこれまでになく悪化し、日本に関するいいニュースは皆無に等しい中、このアクションが唯一の希望とも言われた。

 

襲撃された時はとても怖く、帰った日の夜も悲しい気持ちが押さえられなかった。自転車を友達家族宅に預け、7個の荷物計80kgを引きづりながら列車で46時間、被災地の中国人の為に来たのになぜ同じ中国人に襲われなければならないのか。悔しくてしょうがなかった。

 

でも僕は知っている。暴徒化し好き勝手に暴れ放題している人達の数より、遥かに遥かに遥かに多くの人達が平和を訴え、今の現状に困惑しうんざりしている。そんな善良で優しい人々がたくさんいることを。

 

 

自分が被災地でどれだけの事ができるかわからない。だけど、集めた薬の量でもなく被災地に滞在した期間でもなく、このアクション自体が自分自身数日前までは想像もできなかった程の大きな意味を今持っている。

 

日本人教師やビジネスマンは緊急帰国し、僕も退避するべきだと心配していただく声も何度も聞いた。

しかしやめるのは簡単だ。日本や台湾、東南アジアにもすぐに行ける距離。しかしここでやめてしまったら、今、日本人にとってまるで地獄と化したこの地で「最後の希望」と言われているその"希望の火"が消えてしまう。

希望、そんな言葉重過ぎるけれど、今自分がやらなきゃ、誰がやる。

 

 

 

昨夜、ある人から電話がかかってきた。携帯の画面にはH先生と表示されていた。河南省のある大学で日本語の教鞭を執っている日本人教師だ。彼女は僕の急な呼びかけにもすぐ対応して頂き、多くの薬や衣料品、そして80人を越える学生からの被災者へ向けた手紙を一日で集めて下さった方だ。その方は僕を心配して電話をかけてきてくれたのだが、しばらくして彼女が受話器の向こうで泣いている事がわかった。

今日授業で、生徒に鹿児島の場所を教えたときに、口では説明しにくかったので黒板に日本地図を書いたのだそう。周りの県との位置関係を説明する為に沖縄島を書いた時、学生から「これはアノ島ですよ!」と意見が出た。授業は問題なく終えたのだが、その後大学のエライ方々から呼び出され注意喚起を受けたのだそう。これまで3年間教えてきた学生達で、先生は学生を可愛がり皆大好きだった。そして卒業まで楽しく授業をしたかった。そこにきて今回のことは彼女にとってとてもショックだったのだろう。僕が遭った襲撃のことも含めて話しをし、30分程先生は涙が止まらなかった・・。

彼女のように、中国と中国人が大好きで、今尚頑張っている方達がいる。離れるのは簡単だが残された新学期を迎えたばかりの学生達はどうなるのか。一連のデモなどとは関係のない無垢で日本語が好きな学生達だ。離れる先生もいたが、先生は離れなかった。なのにここにきて、学びの場にまで悲しい影響を及ぼす今回の騒動。心が痛い。

 

 

特別な日、9月18日を迎え中国全土、118カ所以上でデモや日本関連全てを狙った破壊行動が繰り返され野放しにされている中、それに対抗して強固な守りを固めなければならない。

僕がまた傷ついたらもっと悲しむ人が大勢いる。支援物資にも、 賛同して来てくれた有志にも、僕自身にも、指一本触れさせない。

襲撃以来20万人を超える方からのコメントを頂き、そのほとんどが応援と謝罪だった。暴徒化し,人々に襲いかかるのは洗脳され自身ですらコントロールが効かなくなった一部の理性を失った人々。罪もなく善良な人々から謝罪を受けることは辛いことでもある。しかし同時に中国人の本当の優しさと平和を願う気持ちが垣間見ることができた出来事でもあった。政治とデモの報道の影に隠れてしまい、これまでなかなか見えなかった同じ人間として兼ね備えた優しさが・・。

 

中国人も、中国人による被害者である。日本車とはいえ運転しているのは中国人で、窓を割られ引きずり出され殴られるのも中国人。重傷を負い植物状態になったのも中国人。日本が好きでやっと貯めた資金で開いた念願の日本料理店を襲撃され店内をめちゃくちゃにされるのも中国人。日系企業の工場が破壊され、職を失うのも中国人。それにより家計が回らなくなりその家族が困るのも中国人。外国人に留まらず、中国人同士でも傷つけ合う。

 

もうやめようよ、こんなこと・・。

 

人の心を傷つけて、そのあと何が残るんだい?

 

憎しみと悲しみは新たな憎しみを生んで、負の連鎖は続き、中東の紛争地帯のように誰も止められなくなるよ。

 

 

 

 

Tencent weiboの公開質疑応答取材ではリアルタイムで270万人のネットユーザー観衆のもと行われ、国営テレビCCTVはじめ数多くのメディアが追いかけてくる。止む事のない応援の声。

僕は彼らの敵ではない。彼らも僕の敵ではない。被災者や助けを求めている人に国境はなく、助け合いの心にも国境なんてない。

あとでいい、じゃなくて彼らが窮困しているのは"いま"なんだ。

 

 

【愛心无国界(国境なき優しさ)】

 

一連の報道を受け、知り合いの複数メディアのジャーナリスト始め大学の教授、武漢警察、そして日本政府(大使館)が僕ら一団を守るように地元政府と地元警察に依頼が入った。

市内からの移動や被災地、全て厳重な護衛がつく。

 

詳しい場所や時間などは身の安全確保の都合上、念の為公に公開しない。

 

繰り返しになるが、僕の仲間と支援物資には指一本触れさせない。

 

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その後、全国の支援者・地元政府・団体と共に数ヶ月に渡り被災地での直接支援やチャリティー活動などの後方支援など様々な支援に当たる。

 

 

 

 

 

 

2014年6月30日 河原啓一郎