山野井泰史・妙子夫妻事故概要報告

2002年10月29日  from EVERNEW OD div.

既に一部新聞などでご存知の方々もおいでかと思いますが、ギャチュンカン(7985m)を目指していた山野井泰史・妙子夫妻は10月8日、泰史氏がスロベニア・ルートから登頂致しましたものの、下降中の悪天候のため、二人とも重度の凍傷を負って10月18日帰国いたしました。現在入院治療中です。

以下はご友人の方が二人から事故の顛末を聞き取りいたしました内容です。

山野井泰史・妙子夫妻ギャチュンカン事故概要
10月5日
BC出発 スロベニア・ルート取り付き付近(コックがABCと表現している)。
6日
50~60度の雪壁に時々岩壁が混じるルートで、1ピッチ以外はノーザイルで登る。7000mでビバーク。
7日
昨日同様のルートをノーザイルで登る。7500mでビバーク。
8日
雪時々晴れ 妙子不調のため、約7600m地点でこれ以上の登行を断念(この先さらに傾斜が増す) 泰史単独登頂後妙子と合流、ビバーク。
9日
雪。前向きで下降出来ない傾斜をノーザイルでクライム・ダウン。7200mでビバーク。
10日
雪。スタカットで下降を続ける。泰史が先に下降し、妙子を確保、後 5mで泰史のいる地点で妙子が雪崩に飛ばされ、頭部が下になった状態で、50mロープ一杯で止まる。左手の手袋は雪崩で失い、左手は瞬時に白色になった。この墜落で頭部右側と右肩、右ひじなどを強打、頭部は約8cm切れる。

この墜落後、左眼が見えなくなる。もがいて体制を立て直し上部を見ると、ハング気味の岩にロープがこすれて外皮がとれ、芯も幾筋か切れている。泰史が妙子を引き上げようとロープを引くが、ロープは今にも切れそうで、大声で引くな!と叫ぶが聞こえない様子。妙子はロープをはずし、少し右手の雪壁(氷壁?)にアックスとバイルを打ち込み、次の雪崩にそなえた。

ロープの加重が無くなり、妙子がロープをはずしたことを知った泰史は、妙子と合流しようとピトンを打ってシングルロープで妙子の所に下降し、無事を確認して泰史が登り返している時、二度雪崩が発生、眼を傷つけられたらしい。ロープの始点に辿り着き、そこから懸垂下降をしようとしたが目が見えず、手袋をはずして手探りでリスを探し、リスに合うピトンを打ちながら、妙子の声のする方向へ3ピッチ降り妙子と合流。その近くの腰掛けられる程度の狭いスペースでビバーク。
11日
泰史の左眼は回復したが妙子が両眼とも見えなくなり、かなりの時間をかけて取り付き付近(ABC)まで下降。 迎えに来ると言っていたガイドがいなかったが、降雪量が多くラッセルがひどいので来なかったのだろうと思った。
12日
依然泰史の右目も妙子の両目も回復せず。10時間ほど下降し、氷河上でビバーク。
13日
途中まで人が登って来た形跡があり、ひょっとして二人が遭難したと思われているのではないか、と思った。 BCに着くと案の定二人のテントはたたまれ、メステントだけがまだ建っていた。帰還した山野井たちに・コックチョモランマBC連絡官他一名が驚き、すぐテントを建て直し収容してくれた。
14日
山野井たちが行方不明と判断されており、荷下ろしのためBCにポーター3人が上がって来た。
15日
彼らに交代で背負ってもらい下山する途中で、荷下げのために上がってきたヤクとすれ違う。テンディ泊
16日
カトマンズまで帰り着き、教育病院に収容される。
17日
日本に帰国。現在凍傷についての権威である金田医師の治療を受けております。
10月8日頂上直下にいる山野井たちをガイドがBCから視認したこと、その後BCでは二日間雪が降り続き、10日、コックがABCに確認に向かったものの二人が降りてきていないことから、11日、コックがチョモランマBCまで行き日本人トレッカーに伝言を依頼。13日、二人が行方不明の可能性が高いとカトマンズのエージェントに連絡が入った。

現在、二人は東京の病院に入院し経過を見ております。二人とも手足に重度の凍傷を受けており、一部の切断は避けられない状況です。

多くの方にご心配をお掛けしておりますので、この場を借りてご報告したいとのことで、皆様にご連絡申し上げます。

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