彼はとても献身的だった。これほどまで登山隊のために尽くす連絡管は会ったことなかった、また自然の中で上手に時間を過ごす事に慣れていた。筋力トレーニングに励み、花をスケッチ、双眼鏡で鳥を観察、器用な彼は僕等のために毛糸の帽子を編んでくれた。
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しかし「他の人々がいない4000mの高地で聞いているから面白いんだよ。僕等が日本に帰り、あなたがインドの社会に戻れば全て忘れてしまう」と伝えていたと思う。
しかし彼は本当に書いて送ってきた、それも長大な文章を。文学的すぎて僕には半分くらいしか理解できないけど、真剣さは伝わってくる。その原稿はアメリカの登山雑誌に載せるらしい。過去の写真を送ってください、時にはクライミングシューズの左右のサイズは?などと細かい質問が来る。多分まだ書き足しているのだろう、彼がいなかったらこれほどまで楽しいヒマラヤ遠征にならなかっただろうと思うので、ときどき協力している。
彼に会いに、また山頂から見えたキシュトワールの山々を目指して再びインドに何時か行きたいなと思っている。
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