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5月31日 E-mail
--もどかしさ--
「なぜ自転車で世界を旅し、ボランティアをしようと思ったのですか?」
旅先で会う多くの人から同じ質問を聞いた。
その答えは簡単ではない。これまで僕が見て来たこと、感じたこと、出会った人々、悲しみ、喜び、その過去の全てが僕を今この場所に連れて来てくれたのだと思う。その一つ、2006年カンボジア、人生を変える出来事の一つがあった。
当時、なぜ僕は大学で会計を勉強していたのか、特に明確で強い信念はなかった。きっと税理士か会計士にでもなって、給料を稼ぐだけの毎日なのだろうな、くらいの曖昧な将来への考えだった。
そう、大学に入るまでの十代の頃の僕には特に大きな夢という夢がなかったのだ。
新しい友達、彼女、大学、サークル、バイト、親から離れ、東京での自由な新生活。特に不自由はなく一般の大学生と同じように過ごしていた。
ただ、何かいつも心の中で物足りなさを感じていた。
何が物足りないのだろう・・。それさえわからなかった。
何か大きなことをしたい。人が普段やらない、やりたがらない事をしたい。そう思っていた。
そんなもどかしさが次第に積み重なり、その想いが当時若かった僕を一人旅へと連れ出したのだった。
東南アジアを一人で旅して、これまで見たこともない様々な人や価値観や喜び悲しみに出会った。そして貧困にあえぐ人々も目の当たりにした。
しかしそんな人達に旅の途中、とても助けられ、多くのことを学んだ。
では、逆に僕が何か彼らにできることはないのだろうか。
資格もない技術もない、こんな大学生にできることはあるのだろうか。
カンボジア--タイの国境でバスを待っていた時、ある18歳の男の子に出会った。てっきり旅人かと思ったら、カンボジアに教師のボランティアに来ていると言うのだ。こんな若い男の子が・・すごい。とても新鮮な出会いだった。
それが僕のカンボジアでの日本語教師というボランティアを始めようと思ったきっかけだった。
--足のない女の子--
平日NGO学校での授業のかたわら、週末には他のNGOと提携してSlum(貧民区)の生活支援に協力していた。そこで7歳の少女に出会った。彼女はとても明るく可愛い子。しかし右足の膝から下がなかった。なぜだろう・・。彼女の家に遊びに行った時、彼女の父親と話す機会があったので、なぜこの子は足がないのか聞いてみた。父親も笑顔が素敵な優しい方だ。そんな彼が、急に少し悲しい顔になり語ってくれた・・。
彼女がまだ4歳のとき、裸足でごみ山の上を歩いていると、鋭利なもので足を切ってしまったのだそうだ。私達なら洗って消毒して薬を塗れば治るだろう。しかし彼らには薬もなく病院に行くお金もなかった。次第にその傷は感染して化膿し、足は黒く大きくなり、歩けなくなってしまった。村のある老人が「この子は足を切らないと死んでしまう。」と父親に告げた。
父親は大切な娘を失いたくない。そして決断した。父親自身の手で彼女の足を切ることを・・。彼は医者じゃない。麻酔もなく、専門の道具もない。そのときの痛みは僕らにはとても想像できない。同時に、自らの手で我が娘の足を切り、縫った父親の気持ちを考えると心が引き裂かれそうだ。
僕はその話を聞いた瞬間涙が止まらなかった。
「自分は何をやっているんだ。教育よりも、まずこの子達が命を落とさず生きていけなければ意味がないじゃないか。」
そう思い、その時医療の道に進もうと決意が固まった。
--人生を捧げる決意--
もうこれ以上こんな悲しい思いを世界中の子供達にさせたくない。彼女と同じような子供を見なくてすむ世の中にしたい。
いつか経験を得て、またこの場所に戻ってくる。
そして大学卒業後、看護学校に入り、同時に自転車での世界一周と助け合いの旅の計画も立て始めた。
看護師になったのはお金の為でもなく、安定した生活の為でもなく、全てこの為である。大きな災害だけではなく、助けが必要な人がいれば、いつでも行く準備はできている。
2014年5月31日 河原啓一郎